グッと身近に来る日本史

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鎌倉極楽寺、750年前の「海街diary」(上)

 関東にお住まいの方なら、鎌倉の中心から少し離れた場所にある極楽寺界隈がどのような土地柄かイメージできる方が多いと思います。

 

 映画やテレビドラマのロケ地としてもよく使われるほど独特の雰囲気を醸し出している場所です。都会の片隅にあるおだやかな日だまりのような場所、と言えるでしょう。

 

 近年では、2015年に公開された『海街diary』(是枝裕和監督、吉田秋生原作)が有名ですね。家族のつながりをテーマとした物語ですが、その舞台としてピッタリの雰囲気を持ったところです。(以下、YouTube上にアップされている公式の予告編をリンクしていますので、ご覧ください)

 

  

 

 この土地の中心にあるのが、まさに地名の由来となった極楽寺。鎌倉時代中期、北条重時(しげとき)によって建立されたお寺です。重時は晩年を実際にこの寺で過ごし、極楽寺殿とまで称された「ミスター極楽寺」と言える人物です。

 

 しかし、肝心の重時自身については、鎌倉幕府の執権を代々務めた北条一族の一員なんだろうぐらいの推測は誰でもできると思いますが、具体的にどのような人物であったかはほとんど知られていません。

 

  ただ、この人物を調べていくと、極楽寺界隈が醸し出す土地柄のいわれのようなもの、極楽寺が極楽寺らしいゆえんが見えてきます。今回はそれをたどっていきたいと思います。

 

 実は重時が歴史上に名を残した最たるものは、公職にあった者としてではなく、私人として家族にあてた文書、家訓でした。

 

 重時が遺した『極楽寺殿御消息』は国内に現存する家訓書の中では、武家最古と言われています。

 

 私は我が家のファミリーヒストリーを調べていた時に、古今東西の家訓類を集中的に調べてみましたが、重時の御消息はとくに秀逸で、「武家最古にして、最高の家訓」とこれを高く評価しています。

 

 「このような文章を書けるとは、いったいどれほどの人物だったのか」というのが、北条重時に興味を持ったきっかけです。

 

 御消息の全文を現代語訳したものは、『武士の家訓』に掲載されています。ぜひこちらをお読みいただければと思います。

 

 

  この御消息は100箇条から成り立っており、本当に全文を読んでいただきたいのですが、ここでは1箇条だけあげておきます。

 

 人は、舟に舵があるように、正直の心をもって危い世の中を渡っていくのである (中略) 正直は心の舵ともいうべきもので、かけがえのない尊い宝である。このことは、よくよく心得ていてほしい。正直の心は無欲の心ともいえるであろう。

 

と、鎌倉時代に書かれたものながら、現代にも通じる教えとなっています。

 

 さらに、その最後には重時が子や孫たちにあてた添え書きがあります。

 

 この教えを忘れず、子々孫々に遺し伝えなさるがよろしい。後世の者で、百人の中で一人でも、この教えを用いる人があって、さては、昔の人がお伝え下されたかと、お思いなされる折りがあれば、しあわせというものだ。

 

  これが750年前の極楽寺で(当時も今と同様、都会=鎌倉の片隅にあるおだやかな日だまりのような場所であったと思われます)、家族の行く末に思いをはせつつ書かれた文章です。

 

 重時が極楽寺でこのような文章を書くに至るまでにはどのような人生があったのでしょうか。次回は、重時の人生について、見ていくことにします。