永年にわたる日ロ領土交渉。そのはじまりは、いつ、どこだったのか、その最前線で何が起きていたのか。原点を探っていくと、ウルップ島にたどり着きます。
田沼意次から松平定信へ。揺れる幕政とともに蝦夷地政策も二転三転した結果、いつしか「鎖国が国法」となって、幕末までの半世紀以上、幕府の対外政策の基本になっていきます。それを定めたのが、実は松平定信です。
北方からのロシア接近に対して、幕府はどのようにのぞんだか?。今回はまず、それを知る上で踏まえておきたい変革期にあった幕政の動向について、当時の老中、田沼意次から見ていきましょう。
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