2017-01-01から1年間の記事一覧
1867年(慶応3年)4月、徳川慶喜は大阪城で諸外国公使と謁見しました。古式に則ったこの会見の様子を英国の外交官、アルジャーノン・ミットフォードは「東洋の最果ての国の昔の物語の中の一章」と記しています。
幕末の英外交官と言えば、アーネスト・サトウが有名ですが、もうひとり、アルジャーノン・ミットフォードもいます。彼の回顧録『英国公使館の見た幕末維新』を読みながら、「ミットフォードの幕末」へとタイムスリップしてみましょう。サトウとはひと味違っ…
幕末の英外交官、アーネスト・サトウは、最後の将軍、徳川慶喜には特別な感慨を持っていたようです。彼の回顧録『一外交官の見た明治維新』から、王政復古の大号令前後の徳川慶喜の姿を抜き出してみます。
幕末の英外交官、アーネスト・サトウによる『英国策論』出版後の各藩の反応。土佐藩では『英国策論』の議論をはるかに超えた考え方を持っていたことがわかります。大政奉還の2ヶ月ほど前のことでした。
幕末の英外交官、アーネスト・サトウによる『英国策論』出版後の各藩の反応について。今回は福井藩の反応を、サトウの回顧録『一外交官の見た明治維新』を読みながら、見ていきましょう。
幕末のクライマックスで『英国策論』を世に問い、一躍スター外交官となったアーネスト・サトウについて、『英国策論』出版後の各藩の反応を見ていきましょう。今回は宇和島藩と加賀藩です。
英国の外交官、アーネスト・サトウの名を一躍有名にした『英国策論』。幕末のクライマックスで出版されたこの本は、新政府のあるべき姿を示唆、政局に大きな影響を与えました。果たしてこれは英国の謀略だったのか-。
英国公使に就任したハリー・パークスの初仕事となったのが、条約勅許問題。四国艦隊下関砲撃事件の後、英国が間髪入れずにこの問題を取り上げてきた裏には、これまであまり語られてこなかったある重大な理由が隠されていました。
近い将来、高校の歴史教科書から坂本龍馬の名が消えるかもしれない-。そんなニュースが流れ、世間を騒がせました。これで本当に坂本龍馬が教科書から消えてしまうのでしょうか。あるいは復活の可能性は?。
高校と大学の歴史教育者で作る「高大連携歴史教育研究会」が、教科書の用語数を削減する提言をした問題。背景には歴史をいかに脱・暗記科目化するかがあります。本ブログでは、3回に渡ってこの問題を考えてきました。今回は、そのまとめ的提言。
近い将来、高校の歴史教科書から坂本龍馬の名が消えるかもしれない-。そんなニュースが流れ、世間を騒がせました。実は龍馬以外にも、えーっと思うような有名人が教科書から消える可能性があります。今回は幕末について、具体的に誰が残って、誰が消えそう…
高校と大学の歴史教育者で作る「高大連携歴史教育研究会」が、教科書の用語数を削減しよう提言した問題に関連して。今回は大学入試との関連から、どうすれば歴史が脱・暗記科目化できるのか、考えていきたいと思います。
高校と大学の歴史教育者で作る「高大連携歴史教育研究会」が、教科書の用語数を削減しようという提言をしました。背景には「歴史系科目=暗記科目」から脱皮を図るといった目的があります。しかし、これを実現するには用語の削減だけでは済まされない難しい…
近い将来、高校の歴史教科書から坂本龍馬の名が消えるかもしれない-。そんなニュースが流れ、世間を騒がせました。高校と大学の歴史教育者で作る「高大連携歴史教育研究会」が、教科書の用語数を削減しようという提言をしたためです。この話は、このブログ…
幕末当時を生きた人々の史料を読んでいると、下関戦争を契機として国内に倒幕思想が広まったことが伝わってきます。英国のスター外交官、アーネスト・サトウの回顧録『一外交官の見た明治維新』を読みながら、そのあたりの当時の空気感を感じていきましょう。
下関戦争の前後から、英国と長州藩の直接的な人的接触が始まります。相互に腹を割って話す中で、両者は幕府に対する不信感を共有するまでになり、これが倒幕へとつながっていきます。英国のスター外交官、アーネスト・サトウの回顧録『一外交官の見た明治維新…
下関戦争の裏には、英国公使だったラザフォード・オールコックの果断とも言える行動がありました。ただ、この時のオールコックの決断は越権スレスレのきわどいものでもありました。幕末のスター外交官、アーネスト・サトウの回顧録『一外交官の見た明治維新』…
生麦事件以降、攘夷に対する英国の反撃が始まります。対薩摩藩戦となった「薩英戦争」、同じく対長州藩戦となった「下関戦争」です。ただ、英国から見ると、このふたつの戦争には、明らかな意味の違いがありました。このあたりを英国の外交官、アーネスト・サ…
アーネスト・サトウの回顧録『一外交官の見た明治維新』を読むシリーズ2回目。今回はサトウの来日直後に起きた「生麦事件」。事件直後、横浜の外国人社会は震撼、英仏など連合軍による即時報復論が起こります。一触即発の危機的な状況でした。
今回は幕末のスター外交官、アーネスト・サトウの回顧録『一外交官の見た明治維新』を読みながら、幕末も後半戦、激動の日本を見ていきましょう。
『歴史とは何か』(E.H.カー著、清水幾太郎訳、岩波書店刊)を読んで歴史を哲学するシリーズ3回目。今回は、歴史家自身が「時代の子」であるいう視点から歴史を考えていきます。
引き続き、歴史哲学分野で名著と言われる『歴史とは何か』(E.H.カー著、清水幾太郎訳、岩波書店刊)の中から、歴史家の名言の数々を見ていきましょう。今回は、ベネディット・クローチェの言葉です。
「歴史哲学」とはご存じでしょうか?。歴史とは何かを考える学問領域で、古くから歴史家の間で論争が起きてきました。今回のシリーズでは、この分野で名著と言われる『歴史とは何か』(E.H.カー著、清水幾太郎訳、岩波書店刊)の中から、歴史家の名言の数々…
明治維新までの日本は、実に怪しげな社会だったと思います。権力者の犯罪をまともに裁くことができなかったからです。表の史実からだけではわからない、後ろになにかある、というモヤモヤ感があるのです。だからこその歴史情報論です。
明治維新の前後、武士はいつ武士がなくなると思ったか。歴史情報論の観点からこれを読み込んでいくと、開国直後から一部で先読みがはじまり、維新前にはすでに武士階級の間で武士がなくなるかもしれないという見方が広まっていたという衝撃的な事実が見えて…
このブログの中では、しばしば「歴史情報論」というタグが登場します。皆さんの中には何のことやらという方も少なくないでしょう。そこで、ここで改めて、私の考える「歴史情報論」とは何かをご説明しておきましょう。
幕末の英国公使、ラザフォード・オールコックの記した『大君の都-幕末日本滞在記』を読むシリーズ最終回。東禅寺事件後、オールコックは幕府に最後通牒を突きつけます。その後の幕府の対応が重大な分かれ道となったのですが、実際に起きたのは生麦事件でした…
攘夷運動が高まり、外国人の殺害が続いていた幕末日本で、ついに英国公使館を直接襲撃するという東禅寺事件が起きます。ここで英国公使のオールコックは攘夷を放置し続ける幕府に愛想を尽かしてしまいます。
幕末の英国公使、ラザフォード・オールコックの記した『大君の都-幕末日本滞在記』を読むシリーズ5回目。米国公使館通訳のヘンリー・ヒュースケン殺害。彼の葬儀の日、オールコックはじめ外国代表たちを激怒させた某重大事件とは。
幕末の英国公使、ラザフォード・オールコックの記した『大君の都-幕末日本滞在記』を読むシリーズ4回目。桜田門外の変の詳報とともに、オールコックは急速に日本を覆い始めた社会不安を感じます。