グッと身近に来る日本史

読書でタイムトラベラー/時空を超えた世界へと旅立つための書評ブログ

英国

「岩倉使節団」ロンドンで欧米追う光明見出す

ロンドンで日本との40年の時差を知った岩倉使節団。この差を今後どう埋めていけばいいのか。『特命全権大使米欧回覧日記』は考察していきます。その答えもやはりロンドンにありました。

「岩倉使節団」がロンドンで気づいた40年の時差

岩倉使節団はイギリスで高度な技術力に圧倒されながらも、その進歩はわずか40年前からだったことに勇気づけられます。日本の行く末を模索する『特命全権大使米欧回覧日記』を読み解きます。

「輝く目と明るい顔色をした」若き日の明治天皇

1868年3月(慶応4年3月)、明治天皇は各国公使に謁見。英国公使ハリー・パークスとの謁見の様子は、随行していたアルジャーノン・ミットフォードが詳細に記録しています。今回は、この時の明治天皇の様子。

幕末動乱の末に英国が見た京都御所

慶応4年3月、新政府の方針に基づいて明治天皇は英国公使ハリー・パークスと謁見。この時の京都御所や明治天皇の様子は、パークスに随行していた外交官アルジャーノン・ミットフォードによって詳細に記されています。その様子を見ていきましょう。

パークス襲撃事件-英国から見た「最後の攘夷」

王政復古の大号令直後、新政府は国際法に基づく外交を行うことを宣言、天皇が各国公使に謁見することとなりました。しかし、英国公使ハリー・パークスは御所に向かう途中、志士に襲われます。最後の攘夷事件を、英国側から見ていきましょう。

英国の貴族外交官が見た幕末

幕末の英外交官と言えば、アーネスト・サトウが有名ですが、もうひとり、アルジャーノン・ミットフォードもいます。彼の回顧録『英国公使館の見た幕末維新』を読みながら、「ミットフォードの幕末」へとタイムスリップしてみましょう。サトウとはひと味違っ…

「英国策論」から「大政奉還」へー土佐藩の反応

幕末の英外交官、アーネスト・サトウによる『英国策論』出版後の各藩の反応。土佐藩では『英国策論』の議論をはるかに超えた考え方を持っていたことがわかります。大政奉還の2ヶ月ほど前のことでした。

「英国策論」後の各藩の反応-福井藩の「塩対応」

幕末の英外交官、アーネスト・サトウによる『英国策論』出版後の各藩の反応について。今回は福井藩の反応を、サトウの回顧録『一外交官の見た明治維新』を読みながら、見ていきましょう。

「英国策論」を読んだ各藩の反応-宇和島藩、加賀藩

幕末のクライマックスで『英国策論』を世に問い、一躍スター外交官となったアーネスト・サトウについて、『英国策論』出版後の各藩の反応を見ていきましょう。今回は宇和島藩と加賀藩です。

英国が「条約勅許」を急いだ重大な理由

英国公使に就任したハリー・パークスの初仕事となったのが、条約勅許問題。四国艦隊下関砲撃事件の後、英国が間髪入れずにこの問題を取り上げてきた裏には、これまであまり語られてこなかったある重大な理由が隠されていました。

「下関戦争」の激震-飛び火する倒幕思想

幕末当時を生きた人々の史料を読んでいると、下関戦争を契機として国内に倒幕思想が広まったことが伝わってきます。英国のスター外交官、アーネスト・サトウの回顧録『一外交官の見た明治維新』を読みながら、そのあたりの当時の空気感を感じていきましょう。

英国の強い意志で日本の方向を決めた「下関戦争」

生麦事件以降、攘夷に対する英国の反撃が始まります。対薩摩藩戦となった「薩英戦争」、同じく対長州藩戦となった「下関戦争」です。ただ、英国から見ると、このふたつの戦争には、明らかな意味の違いがありました。このあたりを英国の外交官、アーネスト・サ…

実は日本存亡の瀬戸際だった「生麦事件」

アーネスト・サトウの回顧録『一外交官の見た明治維新』を読むシリーズ2回目。今回はサトウの来日直後に起きた「生麦事件」。事件直後、横浜の外国人社会は震撼、英仏など連合軍による即時報復論が起こります。一触即発の危機的な状況でした。

アーネスト・サトウー幕末のスター外交官登場

今回は幕末のスター外交官、アーネスト・サトウの回顧録『一外交官の見た明治維新』を読みながら、幕末も後半戦、激動の日本を見ていきましょう。

幕末の分水嶺となった「生麦事件」

幕末の英国公使、ラザフォード・オールコックの記した『大君の都-幕末日本滞在記』を読むシリーズ最終回。東禅寺事件後、オールコックは幕府に最後通牒を突きつけます。その後の幕府の対応が重大な分かれ道となったのですが、実際に起きたのは生麦事件でした…

「東禅寺事件」幕府に愛想尽かす英国

攘夷運動が高まり、外国人の殺害が続いていた幕末日本で、ついに英国公使館を直接襲撃するという東禅寺事件が起きます。ここで英国公使のオールコックは攘夷を放置し続ける幕府に愛想を尽かしてしまいます。

「ヒュースケン殺害」外交団が激怒した某重大事件

幕末の英国公使、ラザフォード・オールコックの記した『大君の都-幕末日本滞在記』を読むシリーズ5回目。米国公使館通訳のヘンリー・ヒュースケン殺害。彼の葬儀の日、オールコックはじめ外国代表たちを激怒させた某重大事件とは。

「桜田門外の変」の衝撃、動乱の時代の幕開け

幕末の英国公使、ラザフォード・オールコックの記した『大君の都-幕末日本滞在記』を読むシリーズ4回目。桜田門外の変の詳報とともに、オールコックは急速に日本を覆い始めた社会不安を感じます。

「桜田門外の変」その時、英国公使館は?

幕末の英国公使、ラザフォード・オールコックの記した『大君の都-幕末日本滞在記』を読むシリーズ3回目。今回はオールコックが実際に体験した桜田門外の変と、英国公使館の初動対応について。

英国が攘夷の標的となった意外な理由!?

幕末の英国公使、ラザフォード・オールコックの記した『大君の都-幕末日本滞在記』を読むシリーズ2回目。今回はオールコックが、英国が攘夷の標的となっていることに対して、必要以上に被害妄想的になっていたその意外な理由についてです。

英公使の見た攘夷吹き荒れる『大君の都』

今回は、幕末にイギリスの初代駐日総領事(後に公使)として来日したラザフォード・オールコックの記した『大君の都-幕末日本滞在記』を読みながら、攘夷運動吹き荒れる幕末にタイムスリップしていきましょう。