グッと身近に来る日本史

読書でタイムトラベラー/時空を超えた世界へと旅立つための書評ブログ

薩摩藩

「下関戦争」の激震-飛び火する倒幕思想

幕末当時を生きた人々の史料を読んでいると、下関戦争を契機として国内に倒幕思想が広まったことが伝わってきます。英国のスター外交官、アーネスト・サトウの回顧録『一外交官の見た明治維新』を読みながら、そのあたりの当時の空気感を感じていきましょう。

英国の強い意志で日本の方向を決めた「下関戦争」

生麦事件以降、攘夷に対する英国の反撃が始まります。対薩摩藩戦となった「薩英戦争」、同じく対長州藩戦となった「下関戦争」です。ただ、英国から見ると、このふたつの戦争には、明らかな意味の違いがありました。このあたりを英国の外交官、アーネスト・サ…

実は日本存亡の瀬戸際だった「生麦事件」

アーネスト・サトウの回顧録『一外交官の見た明治維新』を読むシリーズ2回目。今回はサトウの来日直後に起きた「生麦事件」。事件直後、横浜の外国人社会は震撼、英仏など連合軍による即時報復論が起こります。一触即発の危機的な状況でした。

歴史情報論-武士はいつ武士がなくなると思ったか

明治維新の前後、武士はいつ武士がなくなると思ったか。歴史情報論の観点からこれを読み込んでいくと、開国直後から一部で先読みがはじまり、維新前にはすでに武士階級の間で武士がなくなるかもしれないという見方が広まっていたという衝撃的な事実が見えて…

幕末の分水嶺となった「生麦事件」

幕末の英国公使、ラザフォード・オールコックの記した『大君の都-幕末日本滞在記』を読むシリーズ最終回。東禅寺事件後、オールコックは幕府に最後通牒を突きつけます。その後の幕府の対応が重大な分かれ道となったのですが、実際に起きたのは生麦事件でした…

「東禅寺事件」幕府に愛想尽かす英国

攘夷運動が高まり、外国人の殺害が続いていた幕末日本で、ついに英国公使館を直接襲撃するという東禅寺事件が起きます。ここで英国公使のオールコックは攘夷を放置し続ける幕府に愛想を尽かしてしまいます。

箱館開港で遠征の成功を確信したペリー

交渉ごとでは、これが出てくれば成功だと確信する場面があるように思います。日米和親条約では、箱館開港というカードを幕府が切ったことで、複数港開港という目標にめどをつけたペリーは態度を軟化、妥結に向かいました。