グッと身近に来る日本史

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「大政奉還」その時、武士社会は?

  今回、ご紹介する『南部維新記-万亀女覚え書から』の著者、太田俊穂氏は昭和8年に毎日新聞に入社して、盛岡支局などで記者として勤務。戦後は地元紙である岩手日報社に転じた後、岩手放送の設立に携わって最後は社長となった人物です。

 

 その太田氏が、若かりし記者時代に盛岡で聞いた古老たちの話をまとめたのが本書。サブタイトルにある万亀(マキ)とは、太田氏の祖母に当たります。つまりこの本のタイトルが意味するところは、マキをはじめとする古老たちによる明治維新の頃の盛岡の昔話集、ということになります。

 

南部維新記―万亀女覚え書から (1973年)

南部維新記―万亀女覚え書から (1973年)

 

 

  ここに、注目すべき伝承が書き記されています。

 

 維新前後の盛岡藩(南部藩)の江戸藩邸に詰めていた古老による、当時の藩邸の様子です。大政奉還直後の生々しい様子が伝えられています。

 

 (江戸詰家老の)野々村様は藩邸詰めの者を集めて、すでにみなも知ってのとおり、将軍が、大政を返上し、勅許も賜っている。察するに日本の国も、一新され、朝廷自ら政治をおこなうようになると思うが、それだからといってなにもかも変わってしまうということはないから、みな落ち着いてかりそめにも、はやまった行動をしないよう、くれぐれも自重してほしい、とのお話があり、不安ながらも、静かな毎日を送っていたが、もう武士がなくなるそうだという者もあり、諸説紛々として落ち着かない日がつづきました

 

 歴史研究の盲点のひとつに、情報がいかに伝わっていたかという視点が欠落している点があるのではないかと思います。

 

 現在のように、NHKの全国ニュースがあって、国民のすべてがその日の出来事を瞬時に、かつかなり正確に知りうるような環境にはなかったわけで、伝聞が、時間をかけながら、様々な憶測を伴いつつ、広まっていったはずです。

 

 その点を意識しながら、この話を見ていくと、非常に興味深いのは、この時点ですでに、「武士という身分がなくなる」と予想する者がいたことです。

 

 この話はまだ、大政奉還直後の段階であって、実際に武士という身分がなくなるのは、王政復古の大号令から、戊辰戦争、さらに廃藩を経て後のこと。まだかなり先の話になります。

 

 にもかかわらず、こうした憶測が生まれていた背景には、すでに幕藩体制が限界に来ているということを、決して少なくない人々が感じていたのでしょう。「政事(まつりごと)を武士階級だけが担うのはもう限界だ」と。

 

 実際、保守的とみられていた盛岡藩でさえ、江戸後期から藩の中枢といえる勘定所(財務局)では商人の登用が相次ぎ、幕末時点では武士と商人の混成部隊となっていました。

 

 そのような藩の変化を間近で見ていれば、大政奉還の次に来るものがなにか、先の読める人間であればわかったはずです。

 

 このような武士社会の動揺が当時すでにあったということがわかれば、戊辰戦争で大方の藩が日和見を決め込んだというのもよく理解ができます。

 

 もともと金がなくて戦費を捻出できなかったということがまずあったのでしょう。その上に、そもそも武士がなくなるかもしれないという疑念がある中では、命をかけて戦うなんてバカバカしくてやってられないと思う方が当然です。

 

 逆に、こうした疑念があってなお、東北諸藩はよく戦ったなあと思います。このあたり、東北人の義理堅さを感じます。■

 

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東京・麻布にある有栖川宮記念公園は江戸時代の盛岡(南部)藩下屋敷跡になる。ここでの話も今は昔。明治維新から1世紀半たった現在、近くには駐日欧州連合(EU)代表部はじめ多くの欧州系大使館が立地、公園を訪れる人々も国際性豊かだ