グッと身近に来る日本史

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「7条問題」を知らずして幕末は理解できない

 幕末に日米修好通商条約交渉の通訳として活躍したヘンリー・ヒュースケンの日記『ヒュースケン日本日記』シリーズの3回目。大名が猛反対した「7条問題」について、今度はヒュースケンの遺した日記から見ていきましょう。

 

 

 以前、本ブログでは、米国全権だったタウンゼント・ハリスの日記を紹介しながら、日米修好通商条約について諸大名が具体的にどの部分に反対していたのかご説明しました。

 

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 ヒュースケンはハリスの通訳ですから、基本的にはふたりの日記はほぼ同じ出来事に基づいたものです。

 

 とは言っても、歳も立場も違う人間ですから、どこに興味を持って、どこを詳しく書くかという点では、細部が異なります。

 

 まず、修好通商条約の通商分野について。1858年2月12日付けの日記に、ハリスの日記にはないおもしろい記述があります。

 

 今朝、森山がきた。彼は、貿易章程と関税については、もう何もむずかしいことはないと考えている。

 「金銭については」彼は言った。「何の障害もない。大名は金銭や税金、関税に関心がない。彼らはこうした事柄をまったく口に出さない。」

 

 森山とは、森山栄之助。幕府の通訳です。彼が言うには、単に通商条約を結ぶという話なら、大名は反対どころか、そもそも関心すらないといったレベルだったようです。

 

 では、彼らは実際のところ、どこに反対していたのか。それより少し前の2月4日付けの日記に事の核心が書かれています。

 

 今朝、信濃守が個人的にハリス氏を訪問した。彼はハリス氏に対し、旧友の誼をもって、第七条、国内旅行の権利を認める条項に固執しないことを求めた。それが叛乱を引き起こすというのは、たんなる推測ではなくて確信なのだ、これには、いささかも掛値はない、と彼は言った。

 

  ハリスの日記にもこの「7条問題」は書かれていましたが、信濃守こと幕府で交渉に当たっていた井上清直の強い言葉を、ヒュースケンは通訳らしく、しっかりと書きのこしています。

 

 「7条問題」とは、条文の7条案を象徴として、米側が自国民が日本国内を自由に通行できる権利を要求、これに対し、大名らは領国内での独占的管轄権を主張して猛反対したというものです。(「7条問題」の詳細については、以下のブログをご覧ください)

 

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 背景には、大名の領国における主権がからんでいるため、本当に重大な問題でした。完全な統一国家とは言えなかった幕藩体制のもとで開国するという矛盾に、ニッポンは早速、直面したのです。

 

 日本史の教科書では、この条約は不平等条約であると解説されることが多いのですが、それはあくまで後に出てくる話であって、大名たちは関税などについては関心すらなく、当時の争点は明らかにこの「7条問題」でした。

 

 しかし、残念ながらこの「7条問題」については現在、触れられることもほとんどありません。理由を推測するに、「7条問題」が交渉の過程で起きていた問題で、調印後の条約の成文では極めて限定されたものになったためだと思われます。

 

 たしかにこの条約は不平等条約であり、その解説に意義のあることは十分にわかるのですが、時系列を追った日本史(通史)の中では、その話よりも「7条問題」について大いに解説を割くべきだと思います。次に来る「攘夷論」から「戊辰戦争」、「明治維新」といった歴史の流れに大きく影響を与えているからです。

 

 この「7条問題」を知らずして、幕末は理解できないのです。

 

(最終的に7条問題が極めて限定的な内容に落ち着いたのは、ハリスが日本との調印を急いだために譲歩したためと考えられます。そのあたりの事情については、以下のブログをご覧ください。

 

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