グッと身近に来る日本史

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産業革命の力を見せつけたペリー艦隊

 『ペリー提督日本遠征記』は、黒船来航で有名な米ペリー艦隊の2度に渡る日本への遠征について記された米側の記録です。

 

 2014年に発行された角川ソフィア文庫版では、上巻として久里浜に上陸して大統領の国書を幕府に手渡した第1回遠征について、下巻として横浜に上陸して日米和親条約を結んだ第2回遠征について、主に書かれています。

 

 

  筆者はペリー個人になっていますが、実際には、ペリー自身の日誌のほか、艦隊幹部たちからの記録の提出などをもとに歴史家のE.L.ホークスが編纂、最終的にペリーが監修する形でまとめられ、米議会に提出されました。

 

 まさに、遠征の公式記録と言えるもので、日本史を知る上での1級史料と言っていいでしょう。

 

 さて、私は以前、『日本1852』をご紹介する中で、米国がペリーを派遣した真の狙いが蒸気船による太平洋航路の開拓にあり、それは産業革命によってもたらされた、とご説明しました。

 

gootjapan.miyatohru.com

 

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 そうした視点でこの本を注意深く読んでいくと、ペリー自身(そして艦隊幹部たちも)、そういった認識を強く持っていたことがよくわかります。第1章の冒頭部分には、艦隊遠征の狙いについて、次のような記述が見られます。

 

 (カリフォルニアをメキシコから獲得したことで、※筆者注)わが国の西海岸とアジアとの直接の交易は当たり前のこととして考えられるようになった。むろん、そこには蒸気の力が念頭にあり、それを得るための燃料が不可欠だった。そこで、文明を代表する偉大な鉱物、石炭の供給が問題になった。カリフォルニアからアジアまで長い行程で、それをどこで調達するか。さらに当然持ちあがった問題は、われわれは遠く離れた東洋のどの国と通商すべきかということだった。中国は、ある程度は開放されている。しかし、もうひとつ、われわれの好奇心を刺激し、商業的興味をそそる、日本という未開国があった。

 

  ここでは、「むろん、そこには蒸気の力が念頭にあり」や「文明を代表する偉大な鉱物、石炭」といった言い回しが注意を引きます。これらはいずれも産業革命を意識した書きぶりと言えます。

 

 さらに本書(上巻)では、浦賀沖に到着してから、国書を手渡すまでの幕府側との駆け引きについて詳しく書かれています。 

 

 基本的には、海上交通上の関所で江戸首都圏の最終防衛ラインだった浦賀をはさんで、測量という名目で江戸へ江戸へと入っていこうとした(実際に品川沖まで入っていった)ペリー艦隊と、できるだけ江戸から遠ざけようとした幕府側のじりじりとした神経戦のような交渉が続きます。

 

 この間の細かな経緯については、ぜひ本書を読んでいただきたいのですが、最終的には、江戸から見て浦賀の少し先にある久里浜の地で妥協(この交渉では場所の選定もかなり意識された)。ここにペリーは上陸し、国書を手渡すことに成功します。

 

 この第1回遠征を総括して、本書はこう締めくくっています。

 

 太平洋岸の新たな合衆国領土と、強力な蒸気力の発達によって、日本帝国の地理的位置がどんなにアメリカと近くなったかを、日本人は気づかされたのである。この蒸気力の効果的な働きは、アメリカ海軍の蒸気艦が首都のほぼ射程内に出現したことで、日本国民にはっきりと示された。

 

 蒸気力とは、すなわち産業革命によってもたらされた力です。つまり、米国は産業革命によってもたらされた力を意識しながら、それを誇示する形で日本を開国させていったのです。

 

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現在の久里浜港とペリー上陸記念碑。写真右側から黒船が入港、左奥にある砂浜から上陸した