実は最初から開国派が多数だった日本
『ハリス日本滞在記』を読んで歴史を考えるシリーズの3回目。今回は日米修好通商条約交渉を通じてハリスが知らされた、階層別の開国への賛否を分析していくことにします。
江戸に到着したタウンゼント・ハリスは早速、将軍、徳川家定に 謁見します。そこでの、後世に伝わる有名な家定の言動が、ハリスの日記には記録されています。
大君は自分の頭を、その左肩をこえて、後方へぐいっと反らしはじめた。同時に右足をふみ鳴らした。これが三、四回くりかえされた。それから彼は、よく聞える、気持のよい、しっかりした声で、次のような意味のことを言った。
「遠方の国から、使節をもって送られた書簡に満足する。同じく、使節の口上に満足する。両国の交際は、永久につづくであろう」。
これですぐに条約が締結されるかと思いきや、そうはいきませんでした。家定への謁見から1ヶ月後、ハリスは条約交渉の日本側委員から国内の事情について、こう明かされます。
商人や一般庶民が開国に賛成していることは疑いを容れないが、しかし、大名や武士階級がそれに反対している。
幕府の上層にいる文官達は、これらの問題に比較的よく通じている。それらの人々は、貴下が来朝されて以来、多くの事を学んでいる。それ故、彼らはこの国を繁栄させ、幕府を富強にすると彼らが考えているところの条約に賛成している。
話を整理するとこうなります。
幕府-賛成 ※ただし,上層部
大名-反対
武士-反対
商人-賛成(世直し期待+貿易の利)
庶民-賛成(世直し期待)
前回、「異常な関心の中、江戸での日米修好通商条約交渉始まる」で触れたとおり、江戸の庶民は世直し期待からこの交渉に対する関心が極めて高く、ここで日本側委員が語っている通り、おおむね開国賛成派だったと思われます。
貿易の恩恵を直接受けることのできる商人たちも賛成派だったことは想像できます。とすれば、地方まではわかりませんが、少なくとも当時の江戸市民に対して世論調査をすれば、開国賛成派が圧倒的多数となっていたでしょう。
これまでの日本史で、開国に反対する国内の世論への対応に幕府が苦慮したと説明されてきたのは、厳密に言えば、人口比で1割に満たなかった武士階級(大名=藩を含む)に限った話だったのです。
よく引き合いに出されるのが、ペリー来航後、老中だった阿部正弘が開国の是非について広く意見書を募ったところ、武士階級を中心におおむね反対意見だったという事実です。
しかし、これは国民全体に聞いた世論調査とは性格が違います。そもそも提出したのは武士階級中心で、しかもこの種のことをすれば、反対意見の方が強く出るというバイアスがかかるというのは、今も昔も変わらないでしょう。
では、なぜ彼ら(武士階級)が反対していたのでしょうか?。
本来、開国して貿易を始めるということは、藩(大名)にとってもメリットのあることです。とくに江戸時代後期には各藩とも財政難から税収を上げることに必死で、領内の産業を育成して特産物を江戸や大坂で売ることに力を入れていました。その延長線上にある貿易にはメリットを感じられたはずです。
にもかかわらず、反対の側に回ったのは何か別の理由があったと考えた方がいいでしょう。と思いつつハリスの日記を注意深く読んでいると、非常に興味深い話が出てきました。次回はその話を詳しく。