グッと身近に来る日本史

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明治維新への時限爆弾だった日米修好通商条約

 『ハリス日本滞在記』を読んで歴史を考えるシリーズの5回目。今回は開国(日米修好通商条約)に大名が反対したその真意を深掘りして考えていくことにします。

 

 

 前回、「大名が開国に反対した本当の理由」の中では、彼らが条約案の中でも、とくに「外国人が国内を自由に通行する権利」について反対していることについて触れました。

 

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 なぜ彼らがこの部分について強く反対しているのか、現代に生きる我々には少しわかりにくいのですが、そこに隠されている真実を理解するヒントがハリスの日記には記されていました。ハリスは交渉の過程で、次のような説明を受けたとあります。

 

 原初からの大名十八名のうち、それらの領土における独立的支配権を有する大名は七、八名である。(中略)大君でさえも、これらの大名の承認を「先ずもって獲得」しなければ、これらの領土内に一名の人間も入れることができない。将軍の政府の役人でも、このような許しがなくて立ち入る者は、立ちどころに殺されると、日本人は称している。

 

  この後、ハリスは幕府と深刻な議論になります。

 

 「あらゆる外交官と領事職の官吏は、日本全国のあらゆる部分を自由に旅行する権利を有するであろう」という、その権利について長い論争がおこった。(中略)一時は、この問題で条約全体が難破するかも知れないという重大な疑惑を私はいだいた。

 

 そして、幕府側はこの部分で絶対に譲れない理由として、次のように語ったといいます。

 

 大名が彼らの領国における独占的な管轄権を要求していること。彼らの当来の権利の如何なる侵害に対しても、彼らは猛烈に反対すること。この条項から重大な紛争の生じることが確実なこと。

 

  なるほど、事は核心はこの部分にあったということです。

 

  仮に私が大名(藩主)だったとして、単に貿易を許してくれるだけなら、「藩に益あり」とみて条約には賛成していたでしょう。しかし、この問題、つまりハリスが記しているような「領国における独占的な管轄権」が侵害されるとしたら、それは自分だって反対に回ります。

 

 これは幕藩体制における根本的な問題で、当時の武士階級が単に外国人を好きとか嫌いといった話とは全く次元が違います。

 

 改めて考えるに、当時の日本は真の統一国家ではなく、徳川家を盟主とした諸侯連合でした。徳川家=幕府に面と向かって刃向かうようなことはないものの、とくに外様大名などはその領国で独自の自治を行っており、それぞれが半ば「独立国家」だったわけです。 

 

 そのため、幕府が主張しているように、幕府の役人でさえ、彼らの了解を得なければ、その領国には入っていけなかったのです。たまに時代劇で、外様藩の領内に公儀の隠密が侵入し、身分が発覚して切り捨てられるといったシーンが出てきますが、それは彼らに「独占的な管轄権」があったからと言っていいでしょう。

 

  ところが、開国して外国という存在を意識せざるを得なくなると、真の統一国家にならなければ、当然、国と国との交渉も満足にはできません。

 

 そうなると、藩という存在はどうなるのか。幕藩体制のままでやっていけるのか。そのような疑問が生じるのも当然と言えるでしょう。開国、とくに日米修好通商条約はそのような問題を当時の日本の政治を担っていた武士階級に投げかけたのです。

 

 もちろん、この時点ではまだ、その後の明治維新について明確なイメージを持っていた人間は皆無だったでしょう。しかし、大きな政治体制の変革が不可避になるぐらいは、幕府や藩の上層部の人間はこの時点から意識し始めたと思われます。少なくとも、ハリスの日記を読んでいると、そのことがうかがえます。

 

 そう考えていくと、ここから明治維新へは必然の道。言い換えると、日米修好通商条約は明治維新への時限爆弾だったのです。