グッと身近に来る日本史

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歴史界激変!?、「歴史総合」を拙速に導入するな

 すでに多くのメディアで報じられていますが、文部科学省は2022年度をメドとした次期学習指導要領の中で、高校の「地理/歴史」に日本史と世界史を融合させた「歴史総合」を新設することになりました。

 

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日本史と世界史の教科書がひとつになる「歴史総合」(本当か!?) ※実際には現行の日本史Aと世界史Aがひとつになるイメージらしい

 

 高校での歴史教育のあり方を巡ってはかなり前から活発な議論が行われ、「国際人養成」といった観点から、世界史が必修(日本史は地理との選択となったため、未修者も少なからずいた)となっていましたが、今度は「日本人なのに日本史を学ばなくていいのか」という議論が台頭、日本史と世界史を融合させた「歴史総合」を新設することで決着したようです。

 

 話としてはこうした経緯ですが、個人的には今回の「歴史総合」新設は、日本の歴史界にとって、かつてないほどの大きな変革を迫られるとみています。考えてもみてください。日本史と世界史の教科書がひとつになるなんて、大混乱必至だとは思いませんか?

 

 これはなにも私ばかりでなく、教育現場の先生たちからもすでに懸念する声がかなりあがっているようです。

 

 本来、歴史を日本史、世界史と区別すること自体、ナンセンスな話で、とくに世界が一体化した近現代についてシームレスな研究・教育が行われるというのも当然です。総論としては、決して間違った話ではありません。

 

 ただ、海外の事情はわかりませんが、少なくともこれまで日本の歴史界においては、大学の研究者も高校の教育者も(民間の研究者含めて)、日本史、世界史の棲み分けがかなり明確にあって、それぞれ交わることのない、別個の世界観を持っていたような気がします。

 

 たとえば、私は今、幕末開国を巡る国際情勢、ありていに言えば「日本が開国せざるを得なくなったのはなぜか、その当時の国際情勢をとことん突き詰めたい」と思って、研究を進めていますが、最近では「結局、アメリカの独立から丹念に話を進めていかなくてはならない」と考えるようになりました。ここにたどり着くまでは、個別の専門分野の研究書を何冊も繋いでいく必要がありました。

 

(この成果については、ちょいちょいこのブログでもご紹介していこうと思っていますが、それはもう世界史の領域で、そうすると今度は本ブログのタイトル『グッと身近に来る日本史』をどうするかといった問題が出てきます。個人的にも「歴史総合」問題に直面しています)

 

 一方、これまでに出ている日本史の幕末期研究は、「日本史」の分野としてはかなり厚みのあるものとなっていると思いますが、それはあくまで「日本史」周りの領域であって(たとえば、開国を巡る幕府の対米交渉のような研究はすでに進んでいます)、アメリカの独立となると、これはもう明らかに「世界史」の領域ですから、一気にそこまでの間を繋ぐような本は見当たりません。

 

 これは幕末期の例ですが、どうもこれまでの歴史界では、そもそもベースとなる歴史研究から教科書作成、教員・研究者の育成まで含めて、こうした「日本史」「世界史」の棲み分けのようなものがあったような気がします。(日本史の側から見ると、日清・日露戦争あたりからは「世界の中で」という視点でとらえられていると思うので、正確に言えば、それ以前の話ですね)

 

 これを融合させるとなると、「教科書を実際どう作るのか」といった話に始まって、高校の教員養成のあり方、大学での歴史研究のあり方、大学入試との整合性など、様々な分野に問題が波及することは目に見えています。

 

 しかも、そこには「人」の問題がからんでいるだけに、話はそう簡単ではなく、教員・研究者の養成ということを考えれば、10年単位の時間を要することになるでしょう。

 

 これまで長い時間をかけて培われてきた日本の歴史界の様々な仕組みが、「歴史総合」の登場で、全面的な見直しを迫られているわけで、どう考えても大事業になるはずです。

 

 これらを踏まえた上で、私としては、高校より先に、まず大学での「歴史総合」の導入を先行させることを提言したいと思います。

 

 大学で「歴史総合」的な研究を先行して進めるとともに、教員・研究者の育成を図る。その上で、たとえば現計画から10年後の2032年度をメドとして、高校での授業に正式採用する、といった「2段階導入」的な考え方です。

 

 そうしないと、このままでは「生煮え」の教科書を使って、ある種、実験的な授業を高校生が強要されることになるのではないかとの懸念があります。それでは実験台にされる高校生がかわいそうです。

 

 まあ、こうは言っても、末端の民間研究者である私の発言など、誰も聞いてはいないでしょうが、普通に判断力のある方であれば、「日本史」と「世界史」を融合させるという、これまでの歴史の全面的な見直しにつながる「歴史総合」の導入がどう考えても大事業になるということはおわかりいただけるはずです。

 

 私はなにも、なんでもかんでも先送り論を言っているわけではありません。「歴史総合」の導入は方向性としては理解できるけれども、現場の実作業はどう考えても大変で、時間がかかる。それを考慮しての「2段階導入」論なのです。文部科学省においては、事を拙速に進めることのないようにしていただければと思います。

 

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