グッと身近に来る日本史

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「輝く目と明るい顔色をした」若き日の明治天皇

 1868年3月(慶応4年3月)、新政府の方針に基づき、明治天皇は各国公使に謁見することとなりました。英国公使ハリー・パークスとの謁見の様子は、パークスに随行していた外交官アルジャーノン・ミットフォードの回顧録『英国外交官の見た幕末維新』に、10ページにわたって詳細に記されています。今回は、前回の京都御所編に引き続き、この時の明治天皇の様子について、見ていきましょう。

 

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  パークスとともに、御所に入ったミッドフォードは、やがて謁見の間に通されます。そこにいたのが、若き日の明治天皇でした。

 

 天蓋の下には若い天皇が高い椅子に座るというより、むしろ凭(もた)れていた。

 

 天蓋の両側には、二列か三列になって広間のほうまでずっとつながって薩摩、長州、宇和島、加賀、その他の大名が並んでいた。その時まで、我々が名前しか知らなかった大名たちの生き姿を初めて、この目で見たのである。それは我々にとってきわめて印象的な光景であった。

 

 当時の著名大名たちが両側に居並ぶ中での明治天皇との謁見とは、想像するに、ミッドフォードならずとも「すごい」と思ってしまいますね。この時の写真があれば、見たいものです。間違いなく歴史に残る1枚ですね。

 

  我々が部屋に入ると、天子は立ち上がって、我々の敬礼に対して礼を返された。彼は当時、輝く目と明るい顔色をした背の高い若者であった。彼の動作には非常に威厳があり、世界中のどの王国よりも何世紀も古い王家の世継ぎにふさわしいものであった。

 

 明治天皇は嘉永5年9月(1852年11月)の生まれなので、この時は15歳。今ならまだ中学生の成長期で、おそらくは身長が伸びた割に肉付きはまだでひょろっとした感じだったのでしょう。このためか、ミッドフォードは「背の高い若者」と述べています。

 

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若き日の明治天皇(明治5年) 

 

  英国側が定められた場所につくと、明治天皇からパークスに対して次のような言葉がありました。

 

 貴国の君主がご健康であることを願うものです。我々両国の交際がますます親密の度を加え、永久不変のものとなることを望みます。二十三日に貴下が宮中に参内の途中、不慮の災難が起きて、この儀式が延引したことを深く遺憾とするものです。それゆえ、本日ここで貴下とお会いすることは大いなる喜びであります。

 

 彼の声は囁(ささや)き声に近かったので、右側にいた皇族が、それを声高に繰り返すと、伊藤俊輔が通訳した。パークス公使が答辞を、しかるべく述べ終えると、肥前候の先導で謁見の間を退出した。儀式全体で十五分もかからなかった。

 

  幾多の犠牲が払われた幕末の動乱15年の末に、諸外国が待ち望んだ天皇との謁見はわずか15分。それでもミッドフォードは

 

この日の実現することを心に描いて苦労を重ねてきた我々が、これらの光景を目の前にして、どんなに感慨深く感じたか、お伝えすることは難しいだろう。

 

 と感慨深げに締めくくっています。