グッと身近に来る日本史

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世界が本当に「歴史総合」化したのはいつか?

 2022年度から高校で始まる「歴史総合」とはどのような内容になるのか。文部科学省の資料によると、「世界とその中における日本を広く相互的な視野から捉えて、近現代の歴史を理解する科目」(高等学校学習指導要綱における「歴史総合」の改訂の方向性案)とあります。

 

 簡単に言えば、「近現代の世界史と日本史」ということになりそうですが、具体的に「近現代」とはいつの時代からのことでしょうか?

 

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世界をひとつにした蒸気船(ペリー艦隊の旗艦、サスケハナ号)

 

 同省の上記資料によると、スタートは18世紀後半。つまり、イギリスで始まった産業革命以降をイメージしているようです。アメリカの独立もこの頃です。

 

 ただ、日本学術会議の提言『「歴史総合」に期待されるもの』(2016年5月16日付)をみると、「歴史総合の構成例」として、以下の7時代を提示しています。

 

1)近世以前の世界:16世紀以前

2)近世のアジア・日本の初期グローバル化:16~18世紀

3)グローバル化の加速と日本の変革:18世紀後半~1890年頃

4)帝国主義の時代:19世紀後半~20世紀初頭

5)社会運動・独立運動と第2次世界大戦:20世紀前半

6)脱植民地化・復興・冷戦:20世紀後半

7)今日の世界:20世紀末以降

 

 比べてみると、学術会議の方は「丁寧に話をすれば」といった感があります。

 

 ただ、歴史総合が2単位と時間が限られていることを考えれば、私は文科省案通り、18世紀後半の世界からスタートするのがいいと思います。学術会議例の3)からということになります。

 

 世界史的には、グローバル化の始まりは大航海時代の16世紀からということになるのでしょうが、日本はその後鎖国しても諸外国からとやかく言われることなくやってこれたところをみれば、本当の意味で世界が一体化していたのかは疑問です。

 

 逆に、1853年にペリーが日本に来航したのは、欧米諸国から見て「そろそろ開国してもらわないと、困るんだけどね」という時代だったのだと思います。世界が本当に一体化してきて、日本固有の事情では許されなくなってきた時代だったと言えます。

 

 これについて、当時を生きた人の実感がこもった文章が残っています。

 

 プロシア生まれの外交官(駐日スイス領事)だったルドルフ・リンダウが著し、1864年にフランスで出版された『日本周遊旅行』(日本語訳名『スイス領事の見た幕末日本』)のまえがきには、次のように記されています。

 

 

 ちなみに、このまえがきが書かれたのは1864年1月。日本国内では文久3年末に当たります。薩英戦争があった後、京都では政変があって(七卿都落ち)、長州藩が中央政界から排除された頃の話です。

 

 ヨーロッパが極東に寄せる関心は、ここ数年来、奇妙と思われる程に増大してきている。つい四半世紀前まで、シナと日本はわれわれヨーロッパ人には殆ど未知の国であった。

 

学問というこの上なく厳しい道を進むことになった幾人かの学者以外にだれも、そんな遠くにある国で起こっていることなど、たいして気にはしなかったのである。

 

  それは、今世紀の初頭までは、極東の物質上の関心がわれわれの関心とは完全に離れていたからである。それらを結び付けるいかなる糸もなかった無かったし、さらにそれらを近付けるいかなる必要も無かったのだ。シナとイギリスの間には多くの商業上の関係は存在していたし、かなり旧くから日本とオランダの間もそうであった。しかし、それらの関係は不規則的なものであり、重要性に乏しかったのである。 

 

 これまでは、「日本が鎖国しようがどうしようが、世界的にはどうでも良かった」ということでしょう。 

 

 そうした環境を変えたのは、蒸気船の登場だったとリンダウは言います。

 

 蒸気汽船による航海は極東の社会に対するヨーロッパの立場を完全に変えてしまった。それはいわばわれわれヨーロッパ人を、あの偉大で神秘的な国の門口に立たせることになった。これらの国で揺れ動いている事件は、もはや学者達の好奇心を呼び起こすものだけでなく、政治家達の気遣いの的となってきているのである。

 

 蒸気汽船は、改めて言えば、蒸気機関を動力源とした船であり、産業革命により誕生したものです。つまり産業革命が世界を変えたということです。

 

 そしてリンダウは最後にこう結論づけています。

 

 これら二つの帝国の現代史は、われわれヨーロッパ人の歴史の一部となって来ているのである。