グッと身近に来る日本史

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「岩倉使節団」ワシントン訪問で知った日米の違い

 明治4年(1871年)、岩倉使節団は太平洋を渡ってサンフランシスコに上陸、鉄道で大陸を横断し、首都ワシントンにやってきます。ここで使節団は日米の国の基本構造=国体の違いを認識することになります。『特命全権大使米欧回覧日記』を読み解きます。

 

 

 回覧実記の実質的な編纂者とされる久米邦武は、ここで人によってはどうでもいいと思えるような些細なことにこだわり、突っ込んだ記述をしています。ワシントンの置かれている「コロンビア特別区」とはなんぞや、という話です。

 

 米国の首都ワシントンは「ワシントンD.C.」とよく表記されますが、これは「コロンビア特別区にあるワシントン」という意味です。このうちの「D.C.」の部分、正式には「District of Columbia」を訳して「コロンビア特別区」となります。

 

 これくらいはご存じの方も多いでしょうが、その成り立ちまで理解している日本人がどれだけいるでしょうか。「そこまではわからないけれど、なんとなくそういうものだ」ぐらいの認識ではないでしょうか。

 

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「コロンビア特別区とは?」から、日本とは違う米国の成り立ちを知る

 

 この点を久米はかなり突っ込んで調べています。おそらく現地の政府関係者に聞いて回ったのでしょうが、「なんで、なんで」と子供のようにしつこく質問していた様が目に浮かびます。

 

 あるいは使節団が出発する前、京都なのか、江戸なのか、あるいは大阪なのかと新政府の首都を決める議論があったばかりだったので、一国の首都はいかにして決めるべきかといった興味があったのかもしれません。

 

 久米はここで、米国の「連邦政府」とは何かからとらえようとしています。

 

 最初十三州がイギリスの支配を脱した時は、まずコンフェデレーション(盟約政府)を作り、各州の代表委員が事を協議していた。

 

 その後、初代大統領となるジョージ・ワシントンが登場して、合衆国憲法による連邦政府を作り、誰か1人、大統領を置こうということになりました。

 

 ところが各州の有力者たちの間では猛然と議論が起こってなかなかこの意見に服さず、大統領というのも、国王の変名に過ぎないのではないかとか、軍事権も徴税権もすべて各州の自主にまかせるべきだとか、現在の盟約政府で十分だ、などという反論が沸騰した。この論争はほとんど一年も続いたが、最後にはワシントンの徳望によって妥協が成立したのであった。

 

 米国ははじめに州があって、彼らの話し合いにより後から連邦政府ができた国だということです。これを踏まえた上で、

 

 連邦政府とは憲法や連邦法の執行機関であって、土地や人民を支配しているのは各州なのである。それゆえに連邦政府は必ずしも土地・人民を所有する必要はない。とはいえ、連邦政府を設けたとすれば、その所在地はすなわち政府の支配地でなくてはならない。そこが他の州からの借り地というのでは不都合なこともある。そこで合衆国の政治の取り決めに際し、次第に土地を譲って連邦政府の領域とした。

 

 これがどこの州にも属しないコロンビア特別区の成り立ちというわけです。

 

 これには私も思い当たる節があります。ある州の副知事にインタビューをしていた時のことです。当時の私は米国の連邦政府と州との関係を、さほど意識することなく、日本の国と都道府県の関係と同じように考えていたのですが、インタビューの途中、副知事が「ちょっと待って」と話をさえぎって、こう説明してくれました。

 

 「あなたの認識はちと違う。私たちが国であって、軍事や外交の権限を連邦政府に委任しているのです」。

 

 そう言われて見ると、州は英語で「state」、これにはたしかに「国」という意味もあります。米国の成り立ちを考えれば、もともと州が国であって、あとからそれらをたばねる上位概念としての連邦政府ができたとみた方がいいのでしょう。日本の国と都道府県との関係とは全く違います。

 

 岩倉使節団もワシントン訪問でこのことを認識したはずです。しつこく疑問点を追求していった久米のお手柄と言えるでしょう。

 

 

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