グッと身近に来る日本史

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「岩倉使節団」がロンドンで気づいた40年の時差

 米国を後にした岩倉使節団は大西洋を渡って、当時の産業革命先進国、イギリスに到着します。使節団は高度な技術力に圧倒されながらも、その進歩はわずか40年前からだったことに勇気づけられます。日本の行く末を模索する『特命全権大使米欧回覧日記』を読み解きます。

 

 

 1872年(明治5年)7月15日、使節団一行はロンドンのサウス・ケンジントンにある博物館を視察します。現在、サイエンス・ミュージアムとなっているこの博物館は、産業革命を推進したとされるジェームズ・ワットが考案した蒸気機関をはじめとする科学技術分野の展示で知られています。

 

 もともとここは、1851年にロンドンで開催された世界最初の万国博覧会の展示物を引き継いで、発展させたと言われています。この時代の博覧会は、エンターテインメント性の強い現在と違って、産業振興の側面が強く出ていたようで、各国の物産が多く展示されていました。産業見本市と言った方がいいのかもしれません。

 

(ちなみに、幕末に徳川昭武を代表とする幕府使節団が参加したのは、1867年に開催されたパリ万国博覧会で、これとは違います)

 

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使節団はリヴァプールに上陸、鉄道でロンドンのユーストン駅に到着した(photo by PAKUTASO)

 

 博物館の視察を終え、回覧実記の実質的な編纂者である久米邦武は、次のような感想を残しています。

 

 現在、ヨーロッパ各国はみな輝かしい文明を誇り、富強をきわめ、貿易も盛んで、秀でた技術を持ち、人民は快適な生活を送って快楽を楽しんでいる。その状況を見ると、これは欧州が商業的利益を重んじる風俗を持っているため、次第にこの状態になったことがわかる。しかし、そのことを欧州独特のことであると考えるのは間違いである。ヨーロッパが今日のように一般的な繁栄に達したのは一八〇〇年以後のことであって、その状況がはっきりと目立つようになったのはわずかここ四〇年ほどのことに過ぎない。

 

  ここで久米の言う40年前とは、1830年頃ということになりますが、これは

 

 一八三〇年代に汽船や鉄道の利用がはじまったことが、欧州の貿易を一変させる機運を生んだ。

 

 ことを理由としています。

 

  つまり、ここで久米が言いたいことを現代的な解釈で言い直せば、

 

「1800年前後に産業革命が起こり、さらに1830年あたりからは蒸気機関による交通革命(蒸気機関車、蒸気船の実用化)が起きたことで、人や物の移動が頻繁となり、欧州ひいては世界の一体化が進んだ」

 

といったところでしょう。欧米との時差40年は、もっぱら交通革命によるところが大きいということです。

 

 ヨーロッパの農業・工業・商業の三つが今日のように盛んになったのはこのようにわずかの間のことであったことをわれわれは知った。いまの欧州と四〇年前の欧州と、状況がどれほど異なったかということを想像してみてほしい。四〇年前には、陸を走る汽車もなく、海を行く汽船もなく、電線が通信を運ぶこともなかった。運河で小舟を曳き、海上で帆船を操り、道には馬車が走り、駅馬を走らせて通信を運び、兵士は銅の大砲やフリント銃を使って数十歩の近距離を隔てて戦った。 

 

 これを踏まえた上で、久米は日本がこれから何をやらなければならないか考察を進めていくのですが、それについては次回。