「黒船来航」で米国が抱いた世界のリーダーへの野望
さらに『日本1852』では、太平洋航路の開設による米国のメリットについて、興味深い文献を紹介しています。
まず、米国海軍調査委員会が議会に提出したレポートです。
カリフォルニアがアメリカ領土に組み入れられたことにより、支那との貿易が発展することは誰もが予想できることである。サンフランシスコと支那は蒸気船を使えば、わずか二十日の距離である。またアメリカ西海岸と大西洋岸との移動には、パナマ地峡ルートを利用すれば三十日強である。したがって蒸気船による太平洋航路ができれば、ニューヨーク・マカオ間はおよそ六十日で移動可能になる。現在の南米ホーン岬を抜ける支那への航路では往復に十ヵ月もかかっている。ヨーロッパと支那の距離はさらに遠く、往復にはおよそ一年が必要である。
また、次のような民間のレポートの一節も紹介されています。
支那貿易ではイギリスとアメリカが激しく競争している。アメリカの支那貿易は漸増していて、現在計画されている蒸気船航路(=太平洋航路、※筆者注)はアメリカにとってさらに大きなメリットを生む。ヨーロッパ諸国は追随できなくなる可能性が高い
当時、新興国家だった米国にとっては、超大国の大英帝国に追いつけ、追い越せ、だったのでしょう。
その手がかりとなるのが、支那との貿易であり、それを実現するには太平洋航路の開拓が急務だったわけです。
となると、この間にある島国、日本の開国もワンセットで大きな課題と言えました。
だからこそ、当時の米国の海軍力の4分の1にもなる大兵力をもって、日本に開国を迫る一大プロジェクト(=ペリー来航)が計画された、となれば、皆さん、納得できませんか?
捕鯨基地の話もたしかにあったのでしょうが、それは米国の戦略の本筋ではなく、真の狙いはこちらにあったと見た方がいいでしょう。(長らく、どうもピンと来ない話だなあと思っていました)
日本への開国要求は、世界のリーダーにならんとする米国の野望の一環として行われたものだったのです。この本を読めば、そのような米国側の考え方がはっきりと見えてきます。
米国の太平洋岸進出が日本の運命まで変えていくことになる(photo by PAKUTASO)