グッと身近に来る日本史

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英国の貴族外交官が見た幕末

 幕末の英外交官と言えば、アーネスト・サトウが有名ですが、もうひとり、アルジャーノン・ミットフォードもいます。今回のシリーズは彼の回顧録『英国公使館の見た幕末維新』を読みながら、「ミットフォードの幕末」へとタイムスリップしてみましょう。サトウとはひと味違った「幕末」が見えてきます。

 

 

 幕末の英外交官と言えば、当時『英国策論』を出版し、また、幕府の要人から志士たちまで幅広い人脈を持って、幕末の政局に大きな影響を与えたアーネスト・サトウの名が有名なのに対し、ミットフォードの名を知っているのは、一部の幕末研究家や歴史ファンだけと言ってもいいでしょう。

 

 ただ、本書の訳者、長岡祥三氏のあとがきによると、

 

 アーネスト・サトウは『一外交官の見た明治維新』の著者として日本では有名であるが、海外生活が長かったためか英本国では特定の人々にしか知られていない。それと反対に日本では知名度の低いミットフォードの名前は遙かに有名である。

 

 とあります。

 

 ミットフォードはもともと上流階級の出身で、英国のエリートコースと言われるイートン・カレッジからオックスフォード大学へと進んだ後、外交官となります。晩年には爵位を授与されてリーズデイル男爵家を創設、正式に貴族に列せられました。

 

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来日直前のミットフォード。1865年、28歳当時のもの

 

 実は、英国でミットフォードの名が有名なのは、ここで紹介するアルジャーノンの子、ディヴィッドの6人の美人姉妹(つまりアルジャーノンの孫娘たち)によるところが大きいと長岡氏は言います。 6人それぞれの個性と活動ぶりがよくマスコミで紹介され、「華麗なる上流階級」的なイメージとして英国社会に浸透したようです。

 

 さて、本書はもともとミットフォードの自叙伝『リーズデイル卿回想録』として、1915年(大正4年)にロンドンで出版されたものの中から、外交官として日本に駐在した部分を翻訳して、1985年に国内で発行されました。

 

 時代的に見れば、徳川家茂が大阪城で亡くなった直後の1866年(慶応2年)10月に29歳で来日してから、1870年(明治2年)元旦に帰国するまでの3年余りとなり、幕府の崩壊から新政府の樹立という激動の時代にあたります。

 

 ちなみに、同僚のアーネスト・サトウは1862年(文久2年)9月に来日、1869年(明治2年)2月に帰国しているので、この間の日本滞在は6年半となり、ミットフォードのおよそ倍になります。

 

 このような日本滞在期間の長さ、しかも幕末の混乱期から日本を見てきたサトウによる『一外交官の見た明治維新』の方が、どうしても社会的には評価されてしまうのですが、こうした客観的な条件だけでは測れない、ふたりの表現スタイルの違いを個人的には感じます。

 

 サトウが外交官らしい実務的な淡々とした表現であるのに対し、ミットフォードには上流階級出身らしい優雅な表現が見られます。

 

 このあたりを訳者の長岡氏も感じていたのでしょう。

 

 本書はサトウの『一外交官の見た明治維新』 に比べると、詳細な記録という点では一歩譲るかも知れないが、教養ある英国人らしい味わいのある表現が随所にあり、単なる記録にとどまらない面白さがある。

 

とあとがきに記しています。

 

 また、上流階級出身ということで、特別な場に出ることができたのもこの人ならではで、英公使のパークスが1868年(慶応4年)に京都で天皇と謁見した際には、通訳としてミットフォードが1人選ばれて随行しており、その際の宮中の様子も詳細に語られています。これも本書の特徴と言えるでしょう。

 

 では、前置きはこれくらいで。「ミットフォードの幕末」を見ていきましょう。