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【歴史哲学】国家とは何かを語源から考える

 国家とは何か--。『歴史とは何か』の中で岡田英弘氏はこの問題をそれぞれの言葉の語源から考えています。

 

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語源を探れば、その国のかたちが見えてくる

 

 岡田氏はまず、米国の州という政府の語源から話を始めています。

 

 イングランド王の旧植民地を、「独立十三州」と呼ぶのは、日本人の誤訳だ。漢字の「州」のもともとの意味は「デルタ、扇状地」だったが、前漢の武帝のときから、皇帝が地方に派遣する行政監察官の巡回範囲を「州」と呼ぶようになった。

 

 漢字の「州」という言葉には、地方政府という意味があったということです。ところが、州と訳した英語のステイト(state)は、もともとラテン語のスタトゥス(status)です。

 

 「スタトゥス」は、「立つ」という意味の動詞の過去分詞形で、「立っていること、位置、地位、身分、財産」を意味した。王の財産だった旧植民地を市民が乗っとって自分たちの財産にしたのだから、それを「財産」という意味で、「ステイト」と呼んだわけだ。これが国家というもののはじまりだった。

 

 このステイトは日本語で「国家」と訳されます。そう考えていくと、米国の州は地方政府というよりも、本当は国家に近い概念だということがわかります。

 

  これを裏付けるような話があります。以前もご紹介しましたが、私がある州の副知事にインタビューをしていた時のことです。当時の私は米国の連邦政府と州との関係を、さほど意識することなく、日本の国と都道府県の関係と同じように考え、話していたのですが、インタビューの途中、副知事が「ちょっと待って」と話をさえぎって、こう説明してくれました。

 

 「あなたの認識はちと違う。私たちが国であって、軍事や外交の権限を連邦政府に委任しているのです」。

 

 米国の成り立ちを考えれば、もともと州が国であって、あとからそれらをたばねる上位概念としての連邦政府ができたとみた方がいいのでしょう。日本の国と都道府県との関係とは全く違います。

 

 それでも日本政府と米国の連邦政府を対等の関係とすると、米国の州は日本政府より下の位置づけにしなければならなくなってしまいます。でも、日本の県と同じではないようだ。それで「州」という別の訳語を当てたのでしょう。

 

 そもそも概念が違うところに、何かそれらしい訳語を当てなければならなかった当時の翻訳家の方の苦労が忍ばれます。

 

 次に漢字の「国家」について。

 

 「国家」という日本語は、明治時代の日本人が、漢文の古典のなかから探し出して、英語の「ステイト」、フランス語の「エタ」、ドイツ語の「シュタート」を訳すときに、新しい訳語として使った字面だ。 

 

 ところが、漢文には全く別の意味があると言います。

 

「国(こく)」という漢字のもともとの意味は、城壁を巡らした都市のことだ。日本語の「くに」ではない。

 そして漢文の古典で「国家」というのは、まず第一に世間を意味する「国」と、家庭を意味する「家」を対比した表現で、「公生活と私生活」と訳せる。

 「国家」の第二の意味は、後漢の時代から、皇帝のことを呼んだ口語的な言いかたで、日本語で言えば「天子さま」に当たる。中国では、都市はすべて皇帝の私有財産だったから、「国家」は「都市のご主人」で、「天子さま、皇帝陛下」という意味だった。

 

  ということは、日本のことを「国家」といった場合、「天皇陛下の国」といったニュアンスがあるということですね。明治時代に生まれた訳語と考えれば、それらしいですが、現代に生きる我々のうち、このこと(語源)を知っている人間は少ないでしょう。

 

 このように語源から考えていけば、たしかにそれぞれの国のかたち、概念のようなものが見えてくるような気がします。