グッと身近に来る日本史

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歴史を脱・暗記科目化するために大学ができること

 近い将来、高校の歴史教科書から坂本龍馬の名が消えるかもしれない-。そんなニュースが流れ、世間を騒がせました。高校と大学の歴史教育者で作る「高大連携歴史教育研究会」が、教科書の用語数を削減しようという提言をしたためです。

 

 同研究会がこのような提言をした背景には、「歴史的思考力の育成」を掲げ、「歴史系科目=暗記科目」からの脱皮を図る、といった目的があります。しかし、これを実現するには用語の削減だけでは済まされない難しい問題が潜んでいるように思います。

 

 前回は、この問題について、歴史という学問の特性から、試験をするとどうしても暗記科目になりがちだという話をしました。

 

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 今回はさらに試験の中でも特別な試験である「入試」となると、さらにこの傾向が顕著になるといった話をしながら、それではどうすれば脱・暗記科目化が図れるのか、考えていきたいと思います。

 

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高校生が大志を抱いて進学できるよう、大学は何ができるのか(北海道大学内の碑)

 

 同研究会が歴史用語が増え続けている大きな要因としてみているのが、大学入試です。同研究会の今回の提案の中には次のようにあります。「高等学校教科書および大学入試における歴史系用語精選の提案」(第一次)からの抜粋です。

 

高等学校における歴史系教科書の用語膨張の原因には、大学入試で細かい用語の暗記力を問う問題が出続けていることの影響も大きいわけで、用語の精選は教科書だけでなく、大学入試の出題用語の精選と並行して行う必要があることを意味しています。

 

 たしかにその通りだとは思います。ただ、大学の側からすれば、そうなるのもやむを得ないといった事情があるのだとも思います。そこを無視したままの議論をしても、いっこうに問題は解決しないでしょう。

 

 つまり、入試という、悪く言えば、ふるいにかけて多くの受験生を落とさなければならない試験において、得点に差を付けるとすれば、難問・奇問を出さざるを得ないといった事情です。みんなが高得点を出すような出題をするようでは、入試問題としては「不合格」と言えます。問題を考えた担当者の責任問題になります。

 

  また、最近では、そんな中でも、単なる暗記だけではない歴史的思考力をみるような出題が意識されているとも言われています。ただ、それにしても、限界があるように思います。歴史的思考力を問うような出題となると、記述式の解答が多くなると思いますが、そうなればなったで、今度は採点の公平性の問題が出てくるからです。

 

 私は大学の中の人間ではありませんから、試験の採点はもちろんしたことはありませんが、雑誌の編集者として外部の筆者の原稿を預かっていた経験はあります。そうすると、だいたいこの原稿はどれくらいの出来かという判断はできます。

 

 ただそれも、ABCDEの5段階評価ぐらいは適切にできると思いますが、これがたとえば具体的に81点なのか82点なのかと問われると、とてもそんな細かな採点はできません。ところが、入試は1点2点の勝負の世界ですから、そういった細かい部分が大切なんですよね。

 

 また、記述式を多用すると、採点者の主観がどうしても入ってくるので、この点からも採点の公平性といった問題が出てきます。

 

 このように、歴史的な思考力を問う出題をする、という話を進めれば、別の問題が出てくる可能性があります。

 

 それじゃ、ただこの問題を放置したままでいいのか、となってしまいますが、私には「ひとつこういう考え方もできるのではないか」と思っていることがあります。

 

 私が高校生だった頃、新聞のQ&Aコーナーで、ある受験生が「法学部なのに数学の試験があるのはなぜか」と質問しました。これに東北大学の法学部の先生が答えていたのですが、その回答は大体このような感じでした。

 

 「たしかに大学に入ってから、数式を扱うようなことはありません。しかし、法律の世界では論理的な思考が重視されます。それを問うために数学の試験を課しているのです」。

 

 「ああ、そういうことか」と当時の私は妙に納得したので覚えているのですが、文科系学部において数学の試験を課すということは、大学に入ってからも実際に数学を使う経済系以外では、論理的思考を問うためなのでしょう。

 

 と考えれば、思考力を問うといった場合に、これを何も歴史という科目の中で問おうとするのではなく、数学で代用すればいいじゃないかと言えます。数学なら、思考力を問いながら、採点の公平性も担保できます。

 

 と思って、東北大学で現在、どのような試験が課されているのかを調べてみると(前期試験、個別、以下すべて同様)、文科系全学部とも国数英3教科のみで社会はありません(加えて国立なのでもちろんセンター試験があって、そこでは社会と理科を含めた5教科を課しています)。

 

  ちなみに他の旧帝大と比較すると、東京大学と京都大学は文科系全学部共通で「3教科+社会」。そのほかの大学はまちまちですが、法経系では3教科のみ、文や外国語、教育系は「国英必須で数学か社会を選択」あるいは「3教科+社会」といったところが多いようです。

 

 私がこれを見て思ったのは、「東北大方式でいいんじゃないか」ということです。つまり、入試(個別試験)で歴史(社会)は課さず、思考力を問う部分は数学で代用する、といった考え方です。

 

 これまでみてきたように、難関校で「入試=ふるいにかける試験」をしようとすれば、定理・法則のない歴史(社会)はどうしても難問・奇問が多くなってしまいます。この状況が続けば、高校での歴史用語の増大に歯止めをかけるという提案もかけ声倒れになってしまいます。

 

 であるならば、大学の側としては、思い切って社会を入試科目から除外するといった措置を講じるのが、いいのではないでしょうか。もちろんこれは個別試験の話で、国立の場合、センター試験は必須ですから、そこで基礎的な部分について社会の試験が課されるというのは、従来通りで問題ないでしょう。(これくらいは暗記でもなんでもやりましょう)

 

 東北大学が、文科系学部なのに個別試験であえて社会を課さないというのも、ひとつの見識であると思います。

 

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