日米和親条約と変わる歴史教科書
私がこのブログを始めたきっかけに、自分で我が家のファミリーヒストリーをずっとさかのぼって調べていった結果として、教科書と現実とのギャップがあちこちで見られたことがあります。
ファミリーヒストリーの調査は、いわば地べた(ミクロレベル)から先入観なく歴史の世界に入っていくようなものです。教科書(マクロレベル)から入っていったわけではないので、他の研究者の方とは全く別のルートから歴史に入っていったと言えます。
そうしたアプローチの仕方で歴史に入っていくと、「これは違うな」と思えることが多くて、自分の目で確かめて(原典にあたり)、あらためて自分の頭で考えていくことが重要だと思ったわけです。
そんな折、「教科書で習った歴史が実は違うんじゃないか」といった懐疑心を持ったところで出会ったのが、『こんなに変わった歴史教科書』です。
本書は東京大学史料編纂所教授の山本博文氏を中心とした歴史学者の方々が、昭和47年(1972年)に発行された中学校用の日本史教科書と、平成18年(2006年)のものを比較して、具体的にどこの記述がどう変わったかを、学界での研究の歩みとともに、わかりやすく解説しています。
これを読むと「歴史」が実はどんどん塗り変わっていっているということがよくわかります。私自身がまずそうでしたが、とくに昭和の時代に教育を受けた方はそう思えるはずです。
具体的にまず、幕末の日米和親条約を巡る教科書の記述の変遷を見ていきましょう。
ペリー来航について、昭和の教科書では、その目的については一切触れられていませんでした。
それが平成版になると、具体的に、①中国貿易における中継地の開拓、②捕鯨船の保護、のふたつの目的が明記されるようになりました。
その理由について、本書の解説によると、昭和版はペリーが持参したフィルモア大統領の国書に基づいた説明がされていたものの
研究の進展につれて、アメリカの目的を国書の文面通りのものとする考え方が否定されるようになった。
ことがあるようです。
これには私も同感ですが、さらに言えば、ふたつの目的がイコールで併記されるのではなく、主は「中国貿易における中継地の開拓」で、従的に「捕鯨船の保護」があったと見ています。このあたりは、以前のブログ記事をご覧ください。
問題は「捕鯨船の保護」の扱いなのですが、これについて本書では、
捕鯨船保護のためというよりも、外国にある自国民の生命・財産を保護する外交法権を日本で発動する狙いがあった、という意見もある。
と最後に一言、異説を紹介しています。
私の考え方は、この部分に近いです。実際、『ペリー提督日本遠征記』を読むと、「捕鯨船の保護」が「自国民の生命・財産の保護」的なニュアンスで記されています。
「捕鯨船の保護」の本質が「自国民の生命・財産の保護」ということであれば、これはいつの時代も変わらない当然の要求であって、ことさら「この時」という話でもなかったのではないか、といった考え方です。