グッと身近に来る日本史

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歴史哲学-すべての歴史は「現代史」である

 引き続き、歴史哲学分野で名著と言われる『歴史とは何か』(E.H.カー著、清水幾太郎訳、岩波書店刊)の中から、歴史家の名言の数々を見ていきましょう。今回は、ベネディット・クローチェの言葉です。

 

 

 

 クローチェは1866年生まれのイタリア人。歴史学者、哲学者であるばかりではなく、戦間期には政治家でもありました。亡くなったのは、戦後まもなくの1952年。

 

 本書では、彼の有名な言葉を引用しています。すなわち

 

 すべての歴史は「現代史」である

 

 この言葉についての、カー自身による解説は次の通りです。

 

 もともと、歴史というのは現在の目を通して、現在の問題に照らして過去を見るところに成り立つものであり、歴史家の主たる仕事は記録することではなく、評価することである、歴史家が評価しないとしたら、どうして彼は何が記録に値するかを知り得るのか

 

 ここでカーが注目しているのは、歴史そのものではなく、それを書く「書き手」としての歴史家の側です。

 

 過去に存在する数え切れないほどの史実の海から、どの史実をピックアップしてきて、歴史というストーリーに仕上げていくかは、すべて歴史家の問題意識にかかっています。

 

 そしてその歴史家にとっての問題意識とは、実際に生きている現代によって生み出されるものです。

 

 こう考えていけば、すべての歴史は「現代史」である、ということになるわけです。

 

 こうした考え方については、私自身、歴史家とは別の視点からですが、よく理解できます。

 

 私の社会人としてのスタートは、雑誌社での記者でした。雑誌ですから事実を端的に伝える新聞社よりも長い文章を書くことになります。いくつかの事実をピックアップしてきて、一連のストーリーに仕上げていく作業をするわけです。

 

 そうすると、同じテーマでも担当する記者の問題意識によって、全く違った記事になるというのは、何も変わったことではなく、むしろ当然のことでした。まして記者が生きた時代が違えば、その傾向は強まるでしょう。 

 

  記者も歴史家も「書き手」であることに変わりはありません。そういう意味から、カーやクローチェの考え方が、私にはすーっと入ってくるのです。