グッと身近に来る日本史

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アーネスト・サトウー幕末のスター外交官登場

 今回は幕末のスター外交官、アーネスト・サトウの回顧録『一外交官の見た明治維新』を読みながら、幕末も後半戦、激動の日本を見ていきましょう。

 

 

 『一外交官の見た明治維新』は、英国の外交官、アーネスト・サトウが、文久2年(1862年)夏に20歳を前に来日してから、明治2年(1869年)はじめに帰国するまでの7年余りの日本滞在中の回顧録。サトウ自身の解説によると、彼が英国公使としてタイのバンコックに滞在していた1885年から1887年の間に、当時つけていた日記を参考にしながら、書かれたものです。

 

 原書は1921年(大正10年)にロンドンで出版されていますが、戦前の日本では発禁扱いとなり、国内で正式に発行されたのは戦後になってから、1960年(昭和35年)のことでした。翻訳は、日米修好通商条約交渉に当たった米全権、タウンゼント・ハリスの日記『ハリス日本滞在記』(1953年、岩波書店刊)と同じく坂田精一氏。坂田氏は国立国会図書館で人文資料考査課長などを経た後、拓殖大学教授を務めた幕末外交史の専門家です(坂田先生、いい仕事しています)。

 

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維新直後に帰国した頃のアーネスト・サトウ。彼の登場は時代の要請だった

 

 サトウの日本滞在は、薩摩藩士による英国人殺傷事件である生麦事件の起きる直前から明治維新直後までとなります。ちょうど英国が幕府を見限って、国内の諸勢力と直接交渉を始める時期に重なっており、語学に堪能で日本人と直接話ができ、かつ若くてフットワークの軽いサトウの登場は、まさに時代の要請でした。

 

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  歴史には、いいシナリオライターがいる--。そう思わざるをえないほど、このタイミングでのサトウの来日は絶妙でした。時代の波に押される形でサトウは一躍、スター外交官になっていきます。

 

 また、歴史史料として見れば、以前ご紹介した初代英国公使のラザフォード・オールコックによる『大君の都-幕末日本滞在記』が、彼が来日した安政6年(1859年)初夏から一時帰国した 文久2年(1862年)春までの日本に関する記述だったのに対し(1863年にはニューヨークで出版)、『一外交官の見た明治維新』は文久2年(1862年)夏から、明治2年(1869年)はじめまでの記述で、うまい具合に連続しており、当時の英国外交を知るには、この2冊は補完し合う関係にあります。

 

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 さて、今回はそんなサトウの日本の初印象。サトウは上海から海路、横浜を目指してきました。横浜到着目前、当時の江戸湾に入ったところで彼が目にした風景。

 

 実に陽光燦々たる、日本晴れの一日であった。江戸湾を遡行する途中、これにまさる風景は世界のどこにもあるまいと思った。濃緑の森林をまとった形状区々たる小山が南岸一帯に連なっている。それを見おろすように、富士の秀麗な円錐峰が、残雪をわずかに見せながら1万2千フィート以上の高空にそびえていた。 

 

  この風景を見た直後、横浜に到着したサトウは、すぐに大事件に遭遇します。それが生麦事件でした。当時まだ10代だった若きサトウの日本での冒険物語はここから始まります。